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師匠と弟子の関係を深めて!

ハレルヤ!

皆さまおはようございます(^-^)

今日はお休みでゆっくりの朝です。昨日のスキーは無事に終了しました。皆さまのお祈りに感謝しますm(_ _)m

昨日は一日晴れましたし、景色から食事から交わりまで、非日常を満喫してとても良い締めくくりとなりました(^-^)

さて、今日も御言葉から分かち合いさせていただきます。

■ディボーション・ ルカ5章1節〜11節

■御言葉1節〜6節

群衆がイエスに押し迫るようにして神のことばを聞いたとき、イエスはゲネサレ湖の岸べに立っておられたが、(1節)

岸べに小舟が二そうあるのをご覧になった。漁師たちは、その舟から降りて網を洗っていた。(2節)

イエスは、そのうちの一つの、シモンの持ち舟に乗り、陸から少し漕ぎ出すように頼まれた。そしてイエスはすわって、舟から群衆を教えられた。(3節)

話が終わると、シモンに、「深みに漕ぎ出して、綱をおろして魚をとりなさい。」と言われた。(4節)

するとシモンが答えて言った。「先生。私たちは、夜通し働きましたが、何一つとれませんでした。でもおことばどおり網をおろしてみましょう。」(5節)

そして、そのとおりにすると、たくさんの魚がはいり、綱がやぶれそうになった。(6節)

■語られること

■1節〜2節

イエスが湖の岸辺で群衆に向かって神の御言葉を説いています。

群衆はイエス様の数多くの奇跡を見聞きしていたので、我も我もとイエス様のもとに押し寄せています。

一方漁師たちは、漁を終え「網を洗いながらイエスの話を聞いています。」

群衆と漁師たちのイエス様の話を聞きたい温度差がここでは表れています。

■3節

この状況にイエス様はシモンことぺテロの舟に乗り、陸から少しこぎ出すように頼み、こうして舟から群衆を教えました。

御言葉を聞くにはざわついた環境は不適切ですね。

押し寄せる群衆に対してこうしてまず秩序を整えています。

また、「少し離れて」とは、イエス様と群衆の関係の距離感を現しているでしょうか。

群衆は、奇跡そのものは求めるけど、イエス様ご自身知って深い関係に入ろうとしないわけです。

■4節

舟には弟子ぺテロが乗っています。

イエス様は話を終え、ぺテロに「舟を深みにこぎ出す」よう指示されました。

ぺテロの職業は漁師で、これこそ生活の中心でしたが、

本当の意味でイエス様の弟子になるということは、「自分の最も大切なものを握りながら」というのでは、すべてが中途半端になってしまうのです。

熱くもなく冷たくもない生ぬるい状態でなく熱いか冷たいかにしなさいとは、終末におけるイエス様の警告ですね。

アブラハムが息子イサクを本当にいけにえとして捧げようとしたように、ぺテロも大切な網を捨てる必要がありました。

というわけで、「深みにこぎ出す」とは、「師弟関係の深みにこぎ出す」ということになります。

そして、

「網をおろして魚をとりなさい」とは、イエス様が「弟子の共に生活し○○しなさい」と語られます。

■5節〜6節

漁は夜通しでも一匹もとれませんでした。

しかし、「おことばどおり網をおろしてみましょう」と素直に応答しています。

漁に関してはぺテロのがプロで知識も経験も豊富でしたが、ぺテロはイエス様の言葉に対して素直でした。

このイエス様の指示は決して難しいものではなく、シンプルなものです。

理屈をつけずに、シンプルな指示に忠実になることが御心ですね。

そして、「大漁」☆

キリストの弟子はこうしてイエス様との心の距離を近くし御言葉に素直に聴き従う時、関係がさらに深まり、次のステップに踏み出せるのです。

この後、イエス様は、ぺテロに「人間をとる漁師にしてあげよう」と言われ、ぺテロは網を捨てて、イエス様に従う者になりました。

さて、今日も主の御声を聴いて主のご用に遣わされて行こう。

今日の午後も皆さまの上に主の恵みのシャワーが降り注ぎますように☆